安倍晋三元首相の銃撃事件…

安倍晋三元首相の銃撃事件から

数日がたち

今尚、全世界がざわついているニュースとなっています

演説の防衛の甘さなどが

多く投げかけられていますが

実際、動画や画像を観ても

明らかに、隙が多く見られたのが現実だと思いました

これだけの、名の知られる方の演説なのに何故

もっと防衛をしなかったのか

何故もっと、周りの隙を固められなかったのか

こればかりは

この演説方法を指示をした方

そして、完全に防衛力かけたところが

この事件に繋がったように思います

演説だけではないんです

今のご時世では

アイドルや芸能人、有名人

全ての人に危機感は持つべきだと感じています

名が知られていなくても、多大な事件の

今のご時世どこにでもあるんです

それだけ、全国民の危機感が落ちているんでしょうか…

ご冥福をお祈りします…

世界に平和が戻りますように

定期検診とメンテナンス

今日は定期検診とメンテナンスの為に

心療内科へ

かなりメンタルやられてまして

回復には時間がかかりそうです

いつものように二本の注射をしてもらい

もう20年程の付き合いになる看護師さんに涙ながらに

今の心理状態を話し

温かい言葉を沢山かけてくれたにも関わらず

今の私には受け入れられない状態でした

その状況を察知して、

もう、随分前から私の事を見てきているので

どんなに頑張ってきたか

どんなに苦しんだかよく知っているから

また、絶対会おうね

と、言われ病院を後にしました

行く先は何処へやら…

線維筋痛症の365日

線維筋痛症の痛みは

365日

季節ごとでも違うし、気候や気温などでも違うという事で

最も、過ごしやすいとされる時期がなかったりする

目が覚めて、いや、

痛みからの目覚めで思う事と言えば

雨が降りそうな時、若しくは降っている時の

痛みは何よりも大変な目覚めです

起きたくても、身体が痛みに慣れるまで

動けない

めまいも加わるとひたすらに耐えるのみ

1人なら自由に寝ていられるけど

家族がいるとそうはいかない

ましてや、理解のある家族なら

その状況判断はしてもらえるだろう

理解のない家族を持つと

何、寝てる?と言われ早く起きろと言われるのが日常だったりもする

そんな

今日も雨降りから始まったので

家族を送り出してから

また、お布団とお友達になってます

身体がある程度まで動けるようになるまで、しっかり体力回復させて

それから、休み休み

やることをやる

とてもではないですが

一気にには家事も遊びも何もかもになりますが

出来ないのが困りました

365日

痛みとお友達になると

したい事も出来ず、したいと思う事もなくなります

出かける事も苦痛に感じるので

1日でもいい

何も考えずに身体を心を脳を休めたい

七夕に願いたいですね

線維筋痛症とワンオペ育児

娘が低体重で産まれてから

しばらくNICUに入院していたので

私が1人、先に退院する事になりました

退院した後も、休む間もなく

毎日、面会に行く日が続きます

充分に自力でミルクが飲めるようになり

体重が退院規定まで増えるまでの間

毎日、1日2回の面会時間に会いに行く日々でした

産まれてから数週間、いよいよ

退院後の育児体験ではないですが

丸一日、NICUの部屋から小児科病棟へ移り

一泊2日のワンオペ育児リハのようなものをしました

いわゆる、退院して家での生活ができるかどうかの見極めも兼ねてます

そして、一泊2日の体験入院を経て

いよいよ、退院許可がおり

一緒に自宅に帰ることが出来ました

が、外来通院は続きます

私の線維筋痛症の投薬やその他の持病の投薬を再開させなければいけない

そう、主治医から言われ服薬の為

完全ミルク育児です

産後から退院してからも

ほとんど身体の休むことができなかった事もあり

産後うつのような状態になりましたが

誰にも助けてもらうことができなかったので

ワンオペ育児で乗り切っていました

そして、娘に異例の病気ではないのですが

本来なら、産まれてくる時に抜けているはずの

要らない体毛のようなものが

目のすぐ上の瞼に、束になって生えていて

調べた結果、毛根が筋肉、神経の部分まできている可能性があり

大学病院で全身麻酔で手術して切り抜く事に

そのままにしていたら、その毛の束は伸びているし

将来的に目に異常が出る可能性があった為で

全身麻酔をしてからの手術なので

ある程度、大きくならないと出来ない

との事で、生後9か月で手術しました

もちろん、手術前検査などで何度か通院もしながら

前日検査後、手術の為

私が1人娘に付き添いベビーベッドで添い寝をしたのは

今でも記憶に残ります

点滴やいろんな機械を身体につけられるので

小さかった娘には不安だったのか

それとも、自由に動けないもどかしさだったのか

夜中中グズっていました

手術も無事終わり、少しの入院生活ではありましたが

本当に娘との2人だけの葛藤でした

退院してその足で、車で1時間以上かかる

他市の心療内科に私の受診の為移動

そして、休む間もなく更に1時間以上かかる他市にある自宅へ

帰宅後もずっとワンオペ育児で

心も休まらなかったです

そして、時が過ぎ

今度は娘に先天性の目の病気が見つかりました

先生曰く片目は殆ど見えていないと言われました

片目でこれまで全てを見ていたと伝えられて

涙が出ました

今でも矯正用の眼鏡をかけて

毎日、見えない方の目だけを使って視力や

視点を合わせる神経の回復のトレーニングで

アイパッチを2時間を目標にやっています

保育園でもサポートをしていただき

少しでも多く、視力回復に向けて

トレーニングです

タイムリミットではないのですが

8歳までに標準視力や、見る力をあげないと

完全に視力を取り戻す事はできません

そんな娘も5歳になり

本当に日々のいろいろなストレスを感じている事でしょう

他のお友だちにはない

自分だけが

アイパッチをしたり

プールの水の圧で鼻炎を起こしたり

その度にプールが休止になり1人時間を過ごすようになり

本当に切ないです

ケンカをする度に夫からも

子どもなんか産まなきゃよかった

私の存在を否定するだけでなく娘にまで

そういった言葉が出るとは…

元々モラハラ気質なところがあって

私の病気も娘の病気にも理解はなく

娘を守れるのは私しかいない

そんな毎日です

入院中も病気の時も

見捨てて1人遠征で飲みともに会いに行くほど

そんな度に、パパはお仕事だからね

と娘に言い聞かせて

いつからか、仕事に行ってないと思うよ

と娘の口から出た事もあります

それもあってか

パパの機嫌をうまくとりながら

本音はママにしか言わない、しないになりました

胎内記憶があるのか

新生児や乳児の時期のことも

話す事が多くある娘ですが

どれも、ママとの事だけなのです

やはり、私自身は娘にキツく話してしまうことも多くあったり

欲しいものはなんでも与えるという接し方はしていないので

嫌われていると思っていました

しかし、ちゃんと小さいなりに

葛藤していると思います

あの人はしてくれるのに、ママはしてくれない

あの人はくれるのに、ママはあまりくれない

まだまだ子育ては終わりません

今、出来ることを少しでも沢山

教えてあげられたらと思います

線維筋痛症と妊娠、出産

線維筋痛症患者さんの妊娠への不安

出産への不安

私もよく耳にすることがあります

私も投薬中に断絶して妊娠にチャレンジした1人です

当時は38歳という年齢で高齢出産というリスク

持病を複数持つというリスクもありながら

私がどうしても産みたいと

旦那さんを説得して赤ちゃんが来てくれるのを

待ちました

妊娠がわかった時から

切迫流産で薬生活が始まりました

母子手帳をもらえる頃には個人病院では

出産は難しいと

大きな総合病院に転院を勧められて

NICU(新生児集中治療室)がある市内唯一の総合病院へ転院しました

安定期という時期は私にはなく

切迫流産からすぐに切迫早産の薬に切り替わりました

安静にがずっと続き

妊娠8か月には入院したり

胎児の胎動が殆ど分からなかった事もあり

何度もモニターをしました

入院したのちに、赤ちゃんのものが何一つ揃えていない状態である事を理由に

一度、退院させてもらいましたが

その1週間後の外来で

赤ちゃんの心拍低下、胎動低下を理由に早く出してあげないといけないと言われ

一旦は帰宅したものの、毎日、胎動チェックなどをして

異変があったらすぐに連絡してくださいと…

当初、医師は自力で産むのは体力的にも持病の発作などを配慮して

手術による出産を勧められていました

どうしても、自分で産みたい

その意思を尊重して下さり

陣痛こそは自然には待つことはできず

点滴により一気に陣痛を起こし

その間も正直なところ

陣痛の痛みより線維筋痛症の痛みの方がつらかったです

麻酔準備や手術準備を密かに隣の部屋で進めて

いつでも、手術に切り替えられるようにしてくれていたのを

後日聞きました

低体重で産まれてから、呼吸障害などもあり

私の持病でもある難病の数値が、

娘にも確認された為

すぐにNICUへと運ばれました

娘に会えたのは産まれてから2日後の事でした

小さくて小さくて、沢山の管に繋がれている娘が

本当に申し訳ない思いもあったり

それでも、懸命に生きようとする姿に勇気をもらったり

その娘に会いに車椅子で毎日、毎日通って

初めて抱っこした日

涙が出そうになるのを堪えるのに必死でした

産まれてからも、しばらくNICUで

退院してからも発達フォローなどで毎日、毎週、毎月と

病院に通いました

それでも、沢山の想いを気付かせてくれた娘には感謝です

線維筋痛症と向き合って

私は10代の頃から原因不明の全身の痛み

倦怠感、手先の強張りや痺れ

全身に何百tかの鉛がなっているように空気が重く感じる

不眠や精神不安定など

いろいろな症状に悩み苦しまされました

当時は医療も全くと言って進んでおらず

この線維筋痛症という名前がつくまでに

何年、10年近く

ドクターショッピングをしました

この、線維筋痛症は今でも

医師ですら病名や病気の症状を知らない方もよく聞きます

なので、この線維筋痛症という病気は本当に診断が難しく

診断されても治療法もないに等しく

直接、この線維筋痛症による死に繋がる事はあまりないようですが

あまりにも耐え難い、激痛発作や身体の異変などによる

生活がまともに出来なくなるという事もあり

全ての人が同じ症状で同じ痛みというわけではないのも

本当に認知されていないところではあります

それが故に、精神的に追い込まれてしまい

自ら命を経つ方も少なくないのが本当に怖い病気なのです

外からはこの病気の症状や症状の重さが目に見えないからです

レントゲンを撮って、見えるわけでも

採血により、数値に出るわけでもないので

本当に自身にしか分からないという苦悩から

命を経ってしまいます

この線維筋痛症の発症の原因だといわれることも

未だに確信してわかっていることがないのが現状で

治療法も未だにわかっておらず

ひとまず、痛みを和らげるなどの投薬

精神を安定させるための不安薬や、眠剤

それでも、効果があるとは限らないのもあり

365日、痛みやその他の症状にも波はあるものの

症状が0になる日は1日、1秒もないのが現状です

数値や形に見えないことで仮病だと言われる事や

怠け者だと言われる事も沢山あります

症状も人により違うので

かろうじて、お仕事を出来る人もいれば

お仕事どころか、家事や普段の生活もなかなかだという方

布団から起き上がれない程の人もいます

同じ線維筋痛症でも本当に一人一人が、症状もその重さも違うので

わかりにくい事、認知されにくい事

患者さんは本当に1人で苦しもがいています

難病として言われているものの国指定ではない?のか指定されて欲しいという

祈り願いを沢山の線維筋痛症患者さんが

国へ署名を持ちかけています

国指定にならないが為に

治療として使う痛院費、投薬費が補助されないからです

今でこそジェネリックとして出してもらえる

お薬も増えてきましたが

私は、一度の通院で処方されるお薬が

最高、8種類それが朝昼晩としたら

かなりの高額になりました

私の場合は、線維筋痛症以外の専門医療にもかかっているので

莫大な医療費になります

線維筋痛症の合併で、他の難病もあったり

神経系や心療系、数え切れない通院が必要になります

その度に投薬処方や採血やレントゲン、心電図などの検査

線維筋痛症がある事で

他の病気の発見が遅れないようにする為の検査がそれぞれの医療でされるので

心身の負担も金銭的な負担も

どうか、この線維筋痛症をもっと認知して欲しい

沢山の線維筋痛症患者さんの願いを込めて

少しでも多くの方に知ってもらえるよう

発信していこうと思います

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